お水の深いことを共有できる〝うれしさ〟を大事にしたい。

2015年に社長に就任した重岡昌吾。スタッフから見ても、ほんとうに穏やかなやさしい社長です。

 今回、開業30周年ということで、当時のことを振り返ってみたのですが、オープン時はとにかくバタバタでお客様に怒られながら必死にこなしていたことしかないですね。
 大学卒業後、私は父の織物業の事業を継ぐつもりでいましたが、母が「これからは、自分の健康はお金を払ってまで守らなければならない時代がくるから、私、お風呂屋さんする」と言い出したのです。
 私は大学在学中で20歳。「お前が手伝わないとできない」と言われて、専務として入社しました。まったく素人からのスタートです。
 まわりは突拍子もないことを始めたと思っていましたが、昔から母をみていた私たち兄弟は、「母なら成し遂げるだろうな」と思っていました。それでも、事業を起こして半年後に父が他界した時は、さすがに落ち込んでいました。
 昭和63年といえば、バブルの絶頂期。建てたときの倍くらいの金額で買いに来ていた業者もあり、やはりここは誰か専門家にお任せして、父の織物の事業を守らなければという気持ちになったのです。
 そのときですね。山伏の恰好をした人から、「この地、この場所はものすごく特別な場所で、高野山が開かれる前の聖地だったんですよ」と言われたのは。この地に建ったことは、大きな意味と役割があり、それは社長さん(母)がやらなければならないんですと、母を説得されたのです。
 今は大変だけれど、数年後には全国から人が押し寄せてくるようになるとも言われ、「それなら、田舎の健康ランドに日本全国から人が来てくれるはずがない。本当にここがそういう場になるのであれば、ここには最高の温泉が必要」だとその翌年、平成元年に温泉のボーリングにかかりました。
 当時の温泉水を今も保管していますが、専門家の方が〝原始海水〟や〝35億年前の化石水では?〟と評されたように、今のものとは想像がつかないくらい塩分を強く感じるものでした。
 1,187メートルの深さから湧いた温泉水は、いわゆる水脈があって湧き出ているのではなく、岩盤の中に溜まっているような水なので、汲み上げてしまえば終わり。もしかすると利用して1か月後、2か月後で出なくなってしまうかもしれないとも言われていたので、最初からこのお水は「量が限られているものだ」という意識が私たちには強くありました。
 一滴たりとも無駄にできない、宝物のような感じがあったのですね。
 希釈して利用しても温泉としての泉質に問題がなかったこともあり、現在も「ゆの里」のお風呂は、この温泉水と初めに湧いた地下水「金水」をブレンドしてみなさまに入っていただいています。
 温泉水は、このあと塩分を感じない今の泉質に変わりますが、当初から量のことがあったのでスプレー式のボトルに入れて使うようになりました。
 ボトルの裏面には若干の説明文があるものの、「飲料水ではありません」と書いているだけで、使い方は一切なし。平成4年の発売以来、専用のチラシもつくっていません。
 ただ並べているだけで、何も表現していないから「どんなお水ですか?」と尋ねられるたびに、「ゆの里」を開業したいきさつもあわせておひとりお一人にお話していました。
 今も、日々、お水の話をしながら思うことは、お水は意識ともつながっていて本質はすごく奥深いものなので、大勢の人と共有するのは難しいのではないかという思いです。
 お水を100人に知って飲んでもらおうと言うより、お水の深いところを共有できる人がひとりでも二人でもいて、それで人生が変わったと言ってもらえるほうが、自分にとっては圧倒的にうれしかったんですね。
 当時から、大勢に広める意識はありませんでした。数人でもいいので、お水の深いところを共有できる〝うれしさ〟を大事にしたい。
 いまも、話を続けられるのは、そういうことだと思います。

お水には意志がある。深いものを学ばされました。

東京・新宿で定期的に開催している「お水のお話会」風景。毎回、満席です。

「ゆの里」にはスピリチュアルな方も多く来館されていて、「ゆの里」に湧くお水には、それぞれ意味と役割があることや、このお水を自分たちの水と思ってはいけない、あなたたちは、水の番人としてのお役目があるのですよと、直接メッセージを伝えにいらっしゃった方もいました。
 平成7年7月に「月のしずく」が世に出るまでのこの時期は、本当に不思議な出来事も数多く起こりました。
 たとえば、ある企業の依頼で水量検査をしたら、お水がいやがるように出なくなったり、また別の場所ではお水が沈殿して濁ったりと、まるでお水に意志があるように、営利目的だけのうまい話にはお水が影響を受けるのです。
 平成6年までは、会長だった母も私も無給状態で、現実は資金繰りで大変な最中。大手商社から破格のお誘いがあって、受け入れれば一気に経営がラクになるのに「断る」という場面もありました。また、お水を販売したいという申し出の商談の場面で、お水の理解がないようなのでやっぱりお断りしようと言葉にした途端に、笑顔だったその方が豹変されて、「なめるなよ」と凄まれたこともありました。
 明日はどうなるかわからない。会社の継続すらあぶないというリアルな現実に生きながらも、それでも、このお水のすばらしさと、このお水で多くの方が助けられている事実を目の当たりにしているのですから、お水に対する揺るぎないものさえ守っていれば乗り切れるだろうと、先への希望がありました。常に前に光が見えていて、照らされている感じと言ったらいいのでしょうか。
 いま思えば、「専務」という位置もよかったのかもしれません。
 社長でないことの逃げ道があると同時に、社長では見られないものも見えたポジションでもあったのです。
 スピリチュアルや霊能者の方は、母より専務である私の方が言いやすかったのか、母には直接言わずに、全部、私のところに自分たちが受けたメッセージを伝えに来ていました。
 母は〝直感の人〟。伝えられたことを母に言っても通じないので、私は、一旦メッセージを受け止めて、あとで考える役割です。その意味をずっとずっと考えて、現実問題としてどう理解し読み解いていくか。男性だから、より物事をロジカルに考える癖付けもありました。
 一方、成分の話をしていても、それだけではないなとずっと思っていたので、どこか悶々としていた時期でもあったんですね。
 本当にこの時期、いろいろな意味で、もまれ、私は鍛えられたのだと思います。
 それが2012年(平成24年)、神戸大学のツェンコヴァ・ルミアナ教授から知らされた水の情報で大きく景色が変わりました。水の構造を知ることで、自分の中で水を一気にイメージ化することができたのです。

ツェンコヴァ先生との出会い。

 神戸大学のツェンコヴァ・ルミアナ教授が初めて「ゆの里」にいらっしゃったのは2005年(平成17年)。ある水のシンポジウムで、まったく関係のない数人から同時に「ゆの里」のことを聞き、ご縁を感じて来館されたのです。
 ツェンコヴァ先生といえば、科学の新しい概念「アクアフォトミクス」の発見者。
 光を用いた水の網羅的な解析方法である「アクアフォトミクス」という名前は、この2005年に命名されました。
 「ゆの里」のお水に興味を持たれて3つのお水を持ち帰り、神戸大学と本格的な共同研究が始まったのが2011年(平成23年)。その翌年の年末、ツェンコヴァ先生から
 「「ゆの里」のお水の構造を調べていたら、すごいことがわかったのよ」と一枚の手書きの図を渡されました。それが宿泊施設「このの」のラウンジの壁にある3つの水の特徴を現したスペクトルパターンです。
 「ゆの里」に湧く「金水」「銀水」「銅水」の3つの水の構造が、独自のユニークな水の振る舞いをしていて、すべてが見事にネットワークでつながっていると興奮気味に伝えられました。
 それは、平成6年にあるスピリチュアルな方から、「ゆの里」に湧く地下水は「金水」と呼び浄化の水ですよ、2番目に湧いた温泉水「銀水」は解毒、そして最後の「銅水」は結び、解放という働きがありますと言われていたメッセージと、科学的な水の構造が、私の中でひとつに結びついた瞬間でした。お水の働きが科学で説明できたのです。
 いつか「スピリチュアルと科学の融合」の時代がやって来る。そう言い続けられてきたことが、実現しそうな思いでした。

いま発信したいのは、水の本当の姿。水は「人の生き方」そのものだから。

 ツェンコヴァ先生との水の研究は年々加速していて、現在は量子科学の世界ともつながっています。
 昨年、神戸で開催された「アクアフォトミクス国際シンポジウム」でも、世界10か国から集まった水の科学者の中に、量子科学の研究者が加わり、シンポジウム閉会後も「ゆの里」に集合され、熱い議論が交わされていました。
 研究者たちは、今というときは、大きな価値観が変わるパラダイムシフトの前夜ではないかと真剣に捉えています。
 この30年で時代が大きく変わり、それと同時に「ゆの里」を取り巻く環境も大きく変わってきました。
 「ゆの里」のお水をお話するときには、なかなか言葉にすることができなかった見えない世界の話や空海様のことなどが、もう、何の違和感もなく科学の話に加えて語ることができます。その話を聞く、お客さま自身も変わりましたね。
 「ゆの里」のお客さまから鍛えられた精神性みたいなものが、ツェンコヴァ先生と出会うことで、科学の視点が深まり、これまで自分の心の中に大事にしてきたものと重なった。
 お水を通して確かなものになっていきました。
 はっきりしていることは、「ゆの里」に有難いお水が湧いたのではなく、この30年という間に、お水がみなさんと一緒に育ってきたんだということです。
 水は「関係性」で変わるのだということを、ずっと教えられてきました。それは、人の生き方とまったく同じです。
 自分が絶えずまわりに影響し、まわりからも影響を受けている。水も人も照らし照らされる「鏡」だということです。
 水の在り方は、人の在り方、社会の在り方と同じ。水の本質がわかり浸透すれば、社会は変わるんだという感覚を、これからはもっと伝えたいと思います。
 30年たって、今からが本当のスタート。今、そんなふうに考えています。