「これからは、血のつながりがなくても
家族になれる時代がやってくる」

壽美子会長が愛した蘭の花たち。

「自分の健康はお金を払ってまで守らなければならない時代が来るから、私、お風呂屋さんする」その壽美子会長の一言で始まった「ゆの里」開業物語。半年後に最愛のご主人が亡くなり、心が折れかけた会長に一人の山伏が声をかけます。
「この場所は特別な場所で、高野山が開かれる前の聖地。この地にこれを建てたことには大きな意味と役割があり、それは社長さん(壽美子会長)」がやらなければならないんですよ」
宿命としか思えない言葉を励みに、温泉水「銀水」が湧き、ミネラルウォーター「月のしずく」が誕生し、「ゆの里」は癒しの場に育っていきました。

「ゆの里」のお水で稲作も。

私の心が根拠よ

 「私が風呂屋をするところにお水が湧かないはずがない」
 「この温泉は世界一や」
 「私は負けたことが一度もな い。私がやったことで一回も 失敗がない」
 壽美子会長は時おり、こんな風に確信をもって言葉を発することがありました。
掘削師からお水が湧く地表じゃないと言われても「お水が湧かないはずがない」と宣言し、数年後、湧いた温泉水は思うほど湯量はなく、泉質などまだ誰も保証していなかったのに、その水に触れただけで「世界一の温泉をいただいた」と感謝の言葉を口にする。
 そして極めつけは、人から見たら、失敗かもしれない状況にあっても、本人はそれをまったく失敗と思っておらず、「負けたことがない」とあっけらかんと断言できる爽やかさ。
 作家のひすいこたろうさんは、壽美子会長に会ったとき「その根拠はどこから来ているのですか?」と膝を乗り出して聞かれたことがありました。すると、会長は笑いながら「根拠は私の心よ」とサラリと答えて、返されたのです。
 今となって思うと、この会長の言葉は、多くのことを私たちに教えてくれました。それは自分を信じ切ることの大切さ。もっと言うと、誰がなんと言おうと自分の気持ち次第で「幸せ」になれるという現実なのです。あくまでも「軸は自分」。思っていることが現実化する心のありようを、この言葉を思い出すたびに噛み締めています。

2003年、お水の宿「このの」オープン。中央のテープカットをしている女性が壽美子会長です。定期的にお客として宿泊しては、ふだん気づかない点をスタッフにアドバイスする姿は、優しくもあり、厳しくもあり。

お水の力を教えてくれるために、
私は病気になったんだと思う

 52歳で未踏の健康ランド建設に足を踏み入れた壽美子会長に、心筋梗塞という病が襲います。それは、温泉水「銀水」が湧いた1990年。
 救急車で運ばれた会長を診察した医師からは、死んだ細胞はもとにもどれないので、健常者として生活するのはむずかしいと診断されたほど重篤でした。おりしも「ゆの里」では温泉水が湧いていて、会長は病室に温泉水を運ばせてお風呂の湯として混ぜて使っていました。
 すると心臓に弊害があるのに、湯船に体を沈ませてどっぷりお湯に入っている方が体はラク。呼吸しやすいことがわかったのです。
 「ああ、これは神秘の水だ」
 感動した壽美子会長は、病室で何度も何度も「神秘の水」と書き記します。温泉水のスプレーボトルの商品名になった「神秘の水」も、ミネラルウォーター「月のしずく」の名前の右肩に「神秘の水」と記しているのも、この時の壽美子会長の偽りのない体験でした。
 〝神秘〟としか表現できなかったお水なのです。
 100日の入院の後に、無事退院した壽美子会長に、医師からは一生飲み続けなければならない山のような薬と、守るべき日常生活の注意書きが渡されました。

お席に着かれた頃を見計らって炊き上げる「釜飯」の朝食が大好評。炊き立てのご飯にほっとする。副菜は、連泊されても飽きないように工夫しています。

 でも、私はもう大丈夫。このお水の力を教えてくれるために、私は病気になったんだと思うから薬は必要ないとその後、薬を飲むことなく80代のその日まで元気じるしの人でした。守った注意事項は「10㎏痩せる」の「10」の数字だけ。
 「10㎏太ったけどね」と、いつもこの話になると、茶目っ気いっぱいに付け加えます。
 温泉が湧いた直後に起こった病気でさえ、会長はお水が教えてくれたメッセージと捉えました。
 開業から、35年。お水に接するたびに、お水を通して教えられる真理は増えるばかりです。

宣伝してはいけない。
疑いながら使う人に、
いい結果がでるはずがない

発酵食品のための「漬物工場を作る」のが、壽美子会長の夢でした。完成した「ゆの里手作り工房」では、梅干しや漬物、ジャムやドレッシング、豆乳ヨーグルトなど、ファームと連動して本物の無添加食品を手がけています。

 温泉水100%のスプレーボトル「神秘の水 夢」が評判になって、噂を聞いた方が増え始めたときから、一貫して言い続けたのが「宣伝をしてはいけない」という壽美子会長の言葉でした。「いい水ですよ」と説明して手渡しても、お水に対して実感がない人は、疑ってかかるもの。「そんな人に、いい結果が出るはずがない」と思うからです。
 自分で使ってみて、何らかの実感を得た人が自分の周りの人に伝えたらいい。
 会長は「それが本来のお水の流れだから」と私たちに言い続けたのです。
 大手企業や薬品会社など、お水を商材として利用したいと申し出た会社は数知れず、取材も数多くありました。依頼されるものに対しては、むやみに断りはしなかったものの、こちらから意識的に働きかけることはありませんでした。
 35年たった今でも、この基本姿勢は変わりません。

繁忙期はサービスが行き届かないから、
値下げしてもいいくらいや

 お水の宿「このの」を利用されるお客様から、「お盆とお正月の特別料金はいくらですか?」と尋ねられると「いいえ、うちは通常どおり。宿泊料金は変わりません」とお答えしています。
 サービス業は、繁忙期と閑散期で料金に差があるのが一般的なので、ほとんどのお客様がこの返事に驚かれます。あるとき、壽美子会長にその理由を尋ねたら
 「お盆やお正月はいつもより多くのお客様が利用されて、スタッフの対応が十分に行き届かないかもしれない。本来なら、繁忙期は値段を下げてもいいくらいや」と諭すように教えてくれました。
 またあるときは「お客様はどんな服装でも構わないけれど、迎える側はいつもきれいな身なりでね」と。
 お客様をお迎えするサービス業というものがどんなことか。華やかなワンピースやスーツ姿で毎日衣装を変えて出勤していた壽美子会長の姿が、いまも思い出されます。

発酵食品のための「漬物工場を作る」のが、壽美子会長の夢でした。完成した「ゆの里手作り工房」では、梅干しや漬物、ジャムやドレッシング、豆乳ヨーグルトなど、ファームと連動して本物の無添加食品を手がけています。

今からは発酵食品が大事。
だから、本物の漬物工場をつくる

 「このままでは食の安全が保たれない」
 2012年、北海道の浅漬け工場からO157による集団食中毒で死者が出たニュースを聞いたとき、食の世界が脅かされていることに壽美子会長は危機感を覚えました。
 本来、発酵食品の代表の漬物が、保存がきかない代物になっている。浅漬けとはいえ、本物の発酵食品の崩壊でした。
 「ゆの里で本物の発酵食品を提供する漬物工場をつくるからね」
 会う人ごとに宣言していた壽美子会長の行動は、2年後の2014年「ゆの里手作り工房」として結実します。
 本物の健康を提供したいと始まった温泉施設は、お風呂だけではなく厨房でお出ししている料理にも、化学調味料の使用を控え、無農薬栽培の野菜を献立に組み込むなど、食へのこだわりが急速に広がっていきました。

「ゆの里」のお水だけを使ってのプランター栽培。壽美子会長が数えたらプチトマトが200個あまりの実を付けていたと言います。

水には生命を育てる力がある

 壽美子会長は植物にも愛情を注ぐ人でした。1階の蘭の花は、会長から毎日声をかけられてきれいな花を咲かせ続けました。5年半も花芽を付け続けた蘭の鉢は、その声に応えた最長記録。
 「いつもきれいでありがとう。がんばれ。がんばれ」
 100鉢近い蘭の花は、いまでは「ゆの里」でお客様を迎えるスタッフ同様の役割があります。
 2002年「ゆの里ファーム」の野菜作りに着手する前、ミネラル博士と呼ばれた理学博士の中嶋常允さんのすすめもあり、壽美子会長が自宅のベランダで育てた野菜が下の写真です。「ゆの里」のお水で水耕栽培を試したのです。一見、ジャングルのような植物の葉にたわわに実るプチトマトの数々。ナスもキュウリもベランダ栽培とは思えぬ豊作ぶりです。ミネラルが豊富な「ゆの里」のお水を使って、無農薬で野菜を育てると決めたらとにかくやってみるのが会長流です。